仕事
州の教育局に配属で、州内の小学校障害児学級2校の巡回指導をしています。そもそもここに隊員を要請したのが日本の教育を高く評価している特殊教育課課長(日本での研修経験アリ。州の障害児教育の中では一番エライ人)。隊員には仕事のパートナーとなる『カウンターパート(CP)』という立場の人をつけることになっているのですが、私のCPはその人になります。日本人である隊員を信頼しているのか?多忙すぎて我々まで気が回らないのか?、派遣校での活動方法は隊員裁量という現状です。



私は3代目の隊員になるのですが、同じ教育局にもう一人の隊員がいて、彼も3代目(職場は違いますが、相談し合ったり情報交換したり、後述の就労支援体制を一緒に立ち上げたりと、いつも協力しています♪)。教育局で隊員を受け入れるのは私で6人目になります。今後も隊員を要請する予定(課長が激しく希望)。

※7月末より新隊員着任!勤務校は3人それぞれ違いますが、情報交換しつつ、仲良くやっております。

2005.8〜10


A小学校(マレー系)
(週2回勤務)
先生11人 児童60人弱

隊員がすでに2代入っているにも関わらず、びっくりするほど勤労意欲の無い先生たちばかりで、マンパワーにしかなり得ない状況だった。3代目でこの状況なのは、もう限界!と判断し、3ヶ月で活動打ち切り。とにかく腹が立つばかりの苦痛な3ヶ月だった。
B小学校(マレー系)
(週1回勤務)
先生4人 児童25人
活気のある学校だったけど、先生たちは全員熟年で、プライドが高かった〜。提案には耳を貸さず、技術移転を前提の活動と考えると効果を出すのは難しいと判断。3ヶ月で打ち切り。

チョン・ワ・ウェイ・シン小学校(中華系)

(週2回勤務)
先生3人 児童6人
児童の人数は少ないが、障害が重めだったり、自閉症の子供が多いこともあってか、意外に大変。朝から下校まで、子供たちに振り回され、行き当たりばったりでだらだらした学習内容。先生たちも何とかしたいという思いはあったが、私の週2回の勤務では足りず、もっと勤務日数を増やせば何とかなるのでは!という考えに至る
2005.11〜12 学校休み 
2006.1〜
(新年度)

チョン・ワ・ウェイ・シン小学校(中華系)
(月3週間勤務<1、2月>→2週間)
先生2人 児童6人
先生、児童、保護者との信頼関係が出来てきて、居心地のいい毎日。1月に集中して取り組んだことに成果があり、その後めっきりと落ち着く。
スリ・イマン小学校(マレー系)
(月1週間勤務<1、2月>→2週間)
先生8人 児童40人
州の最南端の学校のため、主任の家にホームスティ一週間、リゾート地のアパートメントに一週間滞在しながらの勤務。バリバリの主任と「教師はエライ!」という昔ながらの価値観が根付いて努力しない先生たちの狭間でクラクラしつつ、主任の期待に応えるべく、日々奮闘。
※主任が7月より大学編入決定のため、6月末で活動終了。
就労支援体制の立ち上げ 州の障害児教育の発展のためには将来を明るくしないと!の考えのもと、教育局配属のもう一人の養護隊員と福祉局配属のソーシャルワーカー隊員で立ち上げ。
福祉局、教育局の連携支援 我が州の全隊員(福祉局3名、教育局2名)で。月の半分しか地元にいない私は、ひたすら決定事項を受けるのみ;;。全くお役に立てず;;。→CPの協力が得られず、現在暗礁に;;
2006.7〜

チョン・ワ・ウェイ・シン小学校(中華系)
(2週間→毎日)
先生3人 児童8人
ここでの勤務も一年が過ぎ、主任とも子供とも保護者ともすっかり気の置けない仲に♪主任以外の担任が総入れ替えし、新米教員が2人入ったため、また新たな動きが☆最近では、隊員というよりも担任の1人として学校にいるような錯覚に・・・。
就労支援 就労を前提とした実習がいよいよスタート!
活動の歴史
我がCPである課長(中華系)。スリ・イマン小に赴任する前日に2人で一泊し、ご当地料理をご馳走してくれた時の一枚。普段は民族衣装に身を包み、バリバリ働く素敵な人。オーストラリアで障害児教育を勉強したため、英語はペラペラ。多忙すぎて、彼女をつかまえるのは至難の業。
その他の活動

2005.9.14-17 州障害教育担任対象難読症研修会(協力隊の活動についての講義を持つ)ランカウイ島

2006.2.25    JOCV会議(教育局の役人+教育局配属隊員勤務校の担任全員+JICA担当者+教育局配属             隊員2名、福祉局配属隊員2名(見学)) 州内の学校

2006.5.20    クママン地区合同音楽講習会


2006.6.24    クママン地区合同教材作り講習会

2006.8.13    キッズテニス手伝い(司会&通訳)

2006.8.16-17 水泳教室inペナン島手伝い(通訳)