幼稚園
時代

  
教師願望が芽生える 学校ごっこではみんなを差し置いて先生役を独占!?;;
園の誕生会で『幼稚園の先生』や『お花屋さん』を将来の夢と発表する子が多い中、一人「小学校の先生になりたいです!」と堂々の初公表。渋い幼稚園児であった。
かさじぞう』で
手ぬぐいかぶる地蔵役に
名演技のため、傘をもらう地蔵から大抜擢!
何でも手ぬぐい地蔵だけは荷物を持たず、思いっきり歩ける役で、相当歩き方がイカしてたらしい…。あまりの大胆な歩き方に、友達のお母さんは感激して泣いたそうな。
NHKにMちゃのイラストが! 『たのしい教室』(NHK教育)のおたよりコーナーにあたしの描いたイラストが紹介され出演者のぱんちょくんからお手紙が届く。しかしオンエアの時観忘れ、手紙が来て初めて知って大騒ぎしたが、まさにあとの祭りだった。

小学校
時代

    
小学生クイズ番組の常連に 地元の小学生なら誰でも知ってる、クイズ番組に4〜5年生の間で3回も参加。スタッフにも顔を覚えられた程だった;;。優勝こそしなかったがそこそこいい思いはして、商品は毎回いろいろともらってきた。すっかりやみつきになり、何度『100人に聞きました!』に出ようと親に懇願したことか…。ローカルニュースの『テレビ年賀状』コーナーなどちょこちょこと地元のブラウン管に出没するようになる。
キャンプに参加しまくり 児童会館に民間にと面白そうなものがあればとことん参加。中でも一番ハマったのが市の林間学校。山の中での川くだりや我を忘れてはじけまくるキャンプファイアーに大感激♪
教員が指導員をやっていていることを知って「絶対に将来指導員になってやる!と心に決める。
児童会役員になりたがる 4年生からはひたすら学級代表に立候補し、5年生からは児童会選挙に出る。
どうして、そこまで目立ちたかったのか、責任のある立場になりたかったのか、今となっては疑問;;。ただ、副委員長や副会長にはなっても絶対に代表委員長や児童会会長の座は「出来ない!」とはっきりと拒んでいたのは今に通ずるものがある。

中学校
時代

 
やっぱりキャンプに
参加しまくり
林間学校中学生版ともいうべきキャンプに参加。何もない山奥に入り、4日間自分たちで家を作り、トイレを作り、川の水を使って生活。原始体験生活に感激しまくる。
そのときの引率も市内のキャンプ好きな先生であったため、「後継ぎになるぞ!」と決意。
生徒会副会長になる 小学校時代とは違い、責任が重く、自主的な活動が要求され、うんざり。単に目立ちたがりだったわたくし。これを機に重要な立場になりたがり人生に幕を閉じる。
最初で最後の優等生体験 地元が超庶民的な下町で市内有数の低偏差値校であったため、優等生街道をまっしぐら。学年一番をとったことも!(←人生最大の自慢) みんなに一目置かれ、大切に扱われたため淋しい思いをしたことも。しかしそんな体験も今では幻、単なるネタになってしまった。
 

高校時代

劣等生生活スタート 市内有数の進学校へ進学したが、入学した途端に『成績いまいちグループ』へ。初めてのバカ扱いに感激♪するも、それが以後ず〜っと続くことになる;;。
野球部マネージャーになる 一目ぼれの彼を追いかけ、マネージャーに。とりあえず、おおまかなルールを覚え、スコアも書けるようになる。部員には色気のないキャラがウケ、『部員』と呼ばれるほど馴染んでいたが、失恋を機に2年の終わりで突然辞める。
バイト人生スタート マネージャー業に追われ、自分のために何の経験もしていなかったことに焦り、とりあえずバイトを始める。 約1年のうちに中華料理店、スーパー、郵便局、 酒屋と様々な職種を体験。とりあえずウェートレス業は向いてないことがわかった。
海外進出!! 高2の終わりに高校生対象のスタディーツアーに参加し、バングラデシュとタイへ。今までの価値観が丸ごとひっくり返る体験に、目からウロコ。強烈過ぎる経験で帰国後頭の整理が出来ず3ヶ月ほどパニくっていた。
キャンプスタッフ生活
スタート
スタディーツアーのことが新聞に掲載されたことで、某国連関連の地方組織からお声がかかり、夏の子供キャンプのスタッフになる。最初は言われるがままわけもわからず参加していた私も、2年で企画運営をとりしきる立場になり、10年続けた。キャンプへの思い入れは強く、厳しいお局としてビシバシ後輩スタッフたちを指導。打ち上げで毎年、何人かが私の横で泣いていたわ;;ゴメンよ。今も後輩たちが頑張って続けている。
文芸界進出!! スタディーツアーの経験を書いたエッセーが全国規模の高校生対象エッセーコンテストで文部大臣奨励賞を受賞。副賞で9名の受賞者とともに10日間のアメリカ研修旅行へ
予備校
時代
波乱万丈の1年 バイト、キャンプ、恋愛とお前は浪人生か!?と疑いたくなるような充実した日々を送る。10月に失恋し、それを機に猛烈に勉強を始め、第一志望校に合格♪

大学時代

バイトに生きる 学費以外の援助が無かったので、ひたすら稼ぐ生活。主に家庭教師。多いときは週10件なんてことも;他には、酒屋、ネスカフェキャンペーンスタッフ、老人病院歌のお姉さん、スキー場の食堂、中古車ショースタッフ、DDIキャンペーンスタッフ、家庭教師会社の内勤、不動産会社の内勤などなど・・・。余ったお金で休みごとに活動で知り合った友達を頼り、国内一人旅をしまくる
念願のキャンプ指導員になる
大学生バージョンもあり、早速1年間の研修を受けて指導員に。林間学校やら、市の主催事業やら小学校の宿泊学習やら福岡市との少年少女交流事業やらと様々な経験が出来て満喫♪専門的な技術習得よりも、子供と関ることにひたすらハマる。
国際派になる バイトで貯めたお金で海外へ。一人旅は怖いので、面白い企画に飛び込む。
・アラスカ教育実習の旅−大学のプログラムで1ヶ月滞在のうちの半分は単身で先住民族(インディアン)の村へ行き、現地の学校で教育実習をした。
・ミャンマースタディーツアー−某NGOのプログラムで医療ボランティアとして参加。
社会派になる キャンプスタッフを継続しつつ、その縁で他の活動にも参加。外務省の外国人招へいプログラムの手伝いをしたり、全国規模の講習会に参加したり。
また、在学中に阪神大震災があり、現地にとぶ。1週間滞在し、長田区で活動。
寄り道
時代
引きこもりの世界を知る 某団体の全国規模のプログラムに参加し、首都圏の引きこもり支援団体で1年間のボランティアスタッフになる。カウンセリング技術も体で覚える。休日は公開録画、観光など超おのぼり的余暇を堪能。
長期休暇は全国の同期を訪れ、様々なボランティアを体験。
任期後1ヶ月間アラスカでのホストファミリーを頼り、単身渡米(オレゴン州)。
臨採時代
養護学校へ 1年間ね。
冬休みの3週間、ワーホリの友達を頼り、単身ニュージーランドへ。
小学校特殊学級へ 超ナイスキャラの子どもたちに囲まれ、楽しく過ごすも、手先の器用さときめ細やかさが勝負の
障害児教育は、自分には向いていないことを実感;;

首都圏
移住時代

首都圏小学校へ 念願の普通級担任!4年生、1年生と受け持つが、面白さと共に一人一人とじっくり関われないことのもどかしさ、集団を動かすことの難しさも痛感。3年目に担任不在となってしまった障害児学級を任される。学級開き、学級運営と自分一人で行っていかなければならない状況が楽しく、意外にもはまってしまう☆
キャリアと共に給料も上がり、生活にゆとりが。テニスを始め、ダイビングも続け、バイクの免許も取り、アフリカに行ったり、モンゴルに行ったりと旅行も増え…と、私生活も充実。
JOCV
  時代
マレーシアへ さてさて、どんなネタ生活が待ち受けているのでしょうか・・・乞うご期待☆ 
嗚呼、充実人生万歳!
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