それから10年…
 
職場の先輩が協力隊の現職教員特別参加制度を利用して、アフリカに赴任した。協力隊にはもはや興味は無いが、アフリカという土地に好奇心満々な私は、「絶対に行きますから!」の予告通り遊びに行った


 そこには、自分が
10年間持ち続けていた悪いイメージは無かった。それまでの自分の職を生かして、生き生きと活動する沢山の隊員がいた。残念ながら、「あれ?」という人もわずかにいたけど…。そして同世代の女の子がたくさんいて、一緒に旅行に行ったりして、たくさん話をした。社会経験のあるみんなは、心は熱いけどとても冷静。一人の人間として、そして日本人としての自分のアイデンティティーが確立していて、人生のキャリアアップとして協力隊を利用しているのがよくわかった。
   
               
                                          






 わたしはその少し前から
日本人学校に興味を持っていた。説明会にも行った。一度は日本以外 の国に長期滞在して異文化生活を経験してみたいという思いがずっとあったから。しかし話を聞いて、日本人学校は外国の中のとっても小さな日本人社会であるということを感じた。わたしは日本人学校に勤務するのだったら、現地の日本人の子どもたちにめいっぱい現地の子どもたちや文化と触れさせ、地球人教育を行いたいと思っていた。ところが日本人学校に勤務経験のある知人が、「日本の学校についていくために、保護者は必死。とにかく日本の学校と同等の学力の保証、学習進度が求められる。現地の人との関わりを嫌がる保護者もいるし…」と教えてくれた。日本より狭い環境で、学力第一という方向性は自分には向いていないため、受験は見送ることにした。


 一浪の後、波乱の学生時代を経て、一年間ボランティア(協力隊国内版のようなもの)参加、そして地元で2校(それぞれ1年ずつ)、新しい土地で1校(協力隊合格時で勤続4年目)の勤務経験を経て、気づけば
自分という人間はかなり完成されてきた。最終的な判断を自分でするのが怖くて、いつも誰かに相談していた自分では無くなっていた。今の土地への移住を決めたのも自分だし!年齢的にはかなりきわどいところまで来ているし、アフリカでの出会いが後押ししてくれ、海外派遣に挑戦するなら今がベスト☆と判断。
その2☆協力隊ふたたび
同い年の村に住む隊員の家に泊めてもらった。土でできた家にびっくり。彼女が村にとけこんで一生懸命活動している姿に超感動。